photolog of amm

写真家3人のそれぞれの地球探索

ブレる記憶

平山です。

 

8月のお題【アレブレボケ】

 

私はフィルムのピントを合わせるのが苦手。

 

オートフォーカスのくせにブレる写真が出来上がる。

 

その写真達は私の記憶のようにピントがあってなくてボケて不確かなものになっている。

 

過去の記憶も写真を見れば、たとえボケていてもその瞬間は実在していたとハッキリ言えるはずだ。

 

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低体温

 

7月のお題《 モノクロ 》

 

私はモノクロ写真を撮るのも見るのもあまり好きではない。

想像で写真に色付けすることはいくらでもできるけど、実際に何色だったんだろうと気になってしまう。

唯一好きなところは写真から伝わる体温をモノクロ写真は奪っている感じがするところ。

 

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私は小学校低学年から中学卒業まで絵画教室に通っていて、色というものを教えられてきました。彩りを紙に乗せて、描く。

 

私が絵を描くと知っている人から写真の切り取り方も絵みたいと言われることがあります。

撮っている本人は特にそういうのを気にして撮ってるわけではないけど、絵で書けないことを写真に写しているところはある。

 

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今回の写真は私の大好きな山梨の親戚宅の写真たち。

 

 

夏はとても暑い山梨。

冒頭でも話したモノクロ写真は体温を感じさせない、夏に撮った山梨の写真をモノクロにするとどうなるんだろうと気になり今回はこちらにしました。(この前遊びに行ってきたしね)

 

8月のお題は《 アレブレボケ》です。

お楽しみに…!

 

そのままの姿形

ヨシヒサです。

今月はモノクロをテーマに撮影しています。

カメラを初めて触ったのはいつだったか

その時にはもうデジタルカメラが主流でカラー写真が当たり前だった

モノクロ写真で撮影するというのは、カラーの世界で流れに逆らう不自然なこと

喉の奥がむず痒くなるような不快感が少しある。

普段から私は色を目で追い写真を撮る そこから色を抜くと目的を失った様なもので 私の意思の抜けた所でモノ本来の姿を淡々と写しているのかもしれない。

輪郭をなぞる

平山です。

7月のお題『モノクロ』書かせていただきます。

 

 

花屋で働いて色に関してふれることが多くなった。

この色とこの色が合う、このラッピングの色にはこれがいい。

色と共に仕事をしているようなものだが、そんな中今回のお題は『モノクロ』

普段写真を撮る時もカラーでしか撮らない。

色が入ってる方が華やかで好きだから。

今回は花をモノクロで撮影した。

色のない世界に写る花は様々な輪郭を写し出していた。

 

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またあの世で

 

 

もしこの世界にあの世があるのならそこはどんなところなんだろう。

 

お花畑で、いろんな故人がいて、そこから下界を見ているのか。

 

大きくなる内に関わる人や好きな人が増えていった。

 

それに反して好きな人が去っていくことも増えた。

 

この芸能人の人亡くなったんだ、好きだったのに。

 

そんな言葉が増えていく。

 

今世界は死が身近にある。戦争やウィルス。

 

ショッピングモールでミサイルに打たれて亡くなる人のニュースを見る。

 

この亡くなった人も私たちと同じで意識があって、感情があったのにミサイルで突然この世を去った。

 

こんなに死で溢れてる世界で今私がこうやって生きているのは奇跡なのだろうか。

 

明日、来週死ぬかもしれない。

 

もしあの世があるのなら去っていったあの人にまた会えるのかもしれない。

 

死というものは希望か、終わりか。

 

 

 

 

 

 

 

 

6月のお題『メメントモリ』いかがだったでしょうか。

 

誰にでも訪れる死の時までに私たちは生きた証を残し続けたいと思います。

 

7月のお題は『モノクロ』です。

 

私たちは今まで色を切り取って来ました。

 

夏という青い季節を白黒の世界で写します。

 

よければ来月もご覧ください。

 

平山

心地よい憂鬱

ヨシヒサです。 メメント・モリをお題に6月最後の撮影者になりました。 世界中の人がこの数年、死を予感することが増えたとおもいます。 そこでようやく私は メメント・モリ の意味をようやく少し理解できた気がします。 生温い不安感に襲われる 恐怖が湧きあがると同時に安心できる 私だけじゃないと思うと居心地がいい 自分勝手ではありますが、そんな考えに救われるのです。

死へと生へと

 

6月のお題《 メメントモリ

 

死を記憶せよ。

 

死は必ず訪れる、忘れるな。

私はメメントモリという単語が好きです。

 

常に死について考えてるから。

それは「死にたい」という希死念慮ではなく、いつか終える私に何ができるんだろうかって。

だからと言ってポジティブな気持ちでもない。

 

私は死を終わりではなく永遠の一部に過ぎないと思っていて、輪廻転生という言葉であっているのかな。そんな考え方で生きている。

 

死よりも永遠の方が怖い。いっそ終わりがあって欲しい。でも私たちは死へと生へと繰り返していると思う。

 

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読んでいる人に生きにくい考え方してるなと思われていそうだけど、それが私の創作力になっている。

 

何も考えずに生きることも良いけどこうやって考える私でよかった。考えない私だったらきっと空っぽな人間だったと思うから。

 

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メメントモリで思い浮かべたものが

「 植物 」「 木 」「 生きているもの 」

 

死より生を見る方がもっと死を感じる。

根を張り、地を踏み、

私たちは今日も生きている。

 

そして生きているの裏は死も待っている。

 

そんなことばかり考えても、

今日もご飯は美味しいし、沢山寝たいし、

何にもしたくない日もある。

 

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そんなところで私のメメントモリは終わりです。

 

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